
ミラー財団の誰かにアマについて聞いてみます。人々はしばらく考えてこう答えます。「静かな人だね、恥ずかしがりやだし。」いつも同じ答えが返ってくるなか、一部の人が「彼、アカ族だよね。国籍を持ってなくて、確かジャレー村出身だよ。」と、教えてくれました。
そしてついに彼に国籍と彼のこれまで過ごしてきた人生についてのインタビューをお願いしたのです。
彼の事をこのウェブサイトで公開するのは、タイ北部の山岳民族で彼のような運命をたどっている人が
とても多いからです。彼の生活は、国籍が無い事からくる貧困と正規教育の欠如にかなり影響されて
います。
若いうちに仕事探しのために家を出たために、ミラー財団が彼の村で始めた教育運動も知ることがありませんでした。アマは彼自身の生い立ちだけでなく、権利、また国籍を持つことから得られる利益に
ついて知りません。
アマは直せないものは無い、ミラーの住み込み修理屋さんで、なぞに包まれていますが、密かにかなりのやり手です。ある時は、灼熱の元、毛糸の帽子とサングラスを付け、ピンクのバンダナで顔を覆い、
目の部分しか見えない状態で歩き回っています。これが実用的なのか、おしゃれなのか分かりません。先週は一日中ヘルメットを被っていました。彼はヘルメットの前後を逆に被り(おそらく故意に)、なぜか聞くと「別に」と言います。
アマは英語を話さず、ミラーのみんなによると彼には習う気もないようです。外国人ボランティアが山岳民族ツアーガイド用のために開いた英語教室に、アマはひっそりと来て、座っていました。授業に参加するように言うと、彼はみんなで一緒に発音する時に口を動かしているのがわかりました。
それからというもの、外国人ボランティアとアマは幾晩にも亘って数字の数え方を練習し、今では彼は100まで数えられます。アマは字を知らないので、英語学習のすべてを記憶力に頼っています。
アマの習得能力の速さを驚く必要はありません。彼の記憶力はすばらしいのです。ミラー財団のスタッフがやたらアマの英語教室について聞いてくるので、これがそんなに大それた事なのかと驚きました。彼らはアマが学習することに興味を持ったことを喜び、彼の進歩に興味深々でした。
無口であるが故に、ミラーの多くの人々の心を掴み、みんなが彼の変化に喜んでいました。彼の教育の欠如が、未知の分野を学ぶことに対しておっくうにさせているのではないかと感じました。
アマ自身が知る限りでは、彼はミャンマー(ビルマ)で生まれました。彼は自分がいつ生まれたのか、
知りません。彼の家族はジャレー村に引っ越して来ましたが(おそらくミャンマーの不安定な状況のせい)、彼自身はその理由も知りません。
アマは家族の下で、アカ語で育ちます。彼の両親はタイ語を話せず、彼自身も学校に通ったことがありません。どうやってタイ語を学んだのか、という私の質問に、彼は困惑した様子でした。行商人としてチェンライ市内で働きながら身に付けたので、よく覚えていないそうです。彼は10歳のときに家を出てチェンライ市内で働き始め、そこでタイ語を習得しました。私はもっと詳細を知りたかったのですが、彼には答えられませんでした。彼は、必要に駆られて言葉を習得したまでなのです。
何人兄弟なのかという質問に対しても、彼は少し考えなければなりませんでした。総勢6姉妹と2兄弟。アマのように、ほとんどが学校に通ったことがありません。一人だけ、現在チェンライ市内の学校に通う妹がいます。学校の名前を尋ねると、彼はにやりと笑って、学校名を聞こうと思ったことも無いと答えました。話していくうちに、彼はミラーで稼いだ給料を授業料として妹に仕送りしているのだと教えてくれました。これは彼にとって重要な事のようです。
なぜアマは学校に行かなかったのかと聞くと、彼は肩をすくめ、面倒くさかったからだと答えます。
働くために10歳で家を出た「面倒くさがり屋」とは、一体どういうことなのでしょうか。
アマは4年前にミラーにやってきました。13歳の頃からいくつかの建設業に携わってきましたが、結局、彼はミラーの麻薬撲滅運動のために自分の村に戻ってくることになります。警備の仕事を任されていた彼はそのキャンペーン中の1ヶ月間、門で行く人来る人を監視していました。3、4回あったこのキャンペーンで働いた後、彼はついにミラーで正式に雇われることになりました。
ここでは、彼は建設、修理(電気機器、バイクに車まで)、力仕事と、多方面に活躍します。彼の技術はすべて人がやっているのを見て盗んだものです。彼の中では技術習得も彼の仕事に含まれています。彼のタイ語能力のように、私はまた彼の学習能力について探りを入れてみました。
彼は何度も「分からない」と答え、はにかみながら「頭がいいのかもね、多分」と言うのでした。
そして、私たちのインタビューは今回の主題、国籍へと移っていきました。まず彼が証書、書類、運転免許を持っているか聞いてみました。彼の答えは「マイ・ミー(無い)。」もし何かあるとしたらミャンマーにあるだろうとの事でした。そして彼は私に聞いてきました。なぜ自分の国籍について聞くのか、と。これには驚かされました。彼が自分の働く団体の活動を知っているとばかり思っていたのが、彼の認識度はきわめて低く、タイ国籍取得プロジェクトのことも知らなかったようです。それを説明すると彼は頷きました。彼に国籍がほしいか尋ねると、「もし政府が国籍をくれるなら、もらう。でも、そうでなかったら、、、」
彼は肩をすくめ、言葉に詰まった様子でした。
アマはミラーの敷地内外問わず、自分の仕事に必要な物の買出しのためにバイクで出かけます。
しかし、彼が村の外に出ることはありません。証書や免許書無しでつかまった場合罰金に課せられる
ため、17キロメートル先のチェンライ市街に行くこともありません。
最近、バイクで交通事故にあった時も、国籍無しでは保健医療サービスも受けられないため、病院に
行けませんでした。何日も足を引きずっているようでは、ミラーの仕事もまともにできません。
今の仕事が好きかと聞くと、また「分からない」と答える彼。それは彼にとって仕事であり、好きか嫌いかの問題ではないのかもしれません。たまに、面白く無くなることは認めました。しかし、彼には選択肢があまりありません。国籍が無いために、この限られた地域以外に職探しの旅することができません。技術や知識の向上のために勉強がしたくても、奨学金の制度が利用できません。
教育を受ける事はアマの選択肢に入っていません。彼が自ら家を出たのか、それとも両親の勧めであったのかは定かではありません。しかし今となっては彼が村の外に暮らす事は彼の自由です。あまり長く村にいなかったため、彼はアカ族の伝統や文化をほとんど知りません。タイ国内中隈無くどの子どもにも与えられる機会が、多くの山岳民族や国籍を持たない人々には与えられません。
アマは、こういった人権否定の影響や、私たちの活動の意味を示してくれているような気がします。
このインタビューの中で彼が積極的に答えた質問は、ミラーで身に付けた技術についてくらいです。
それが大変だったか聞くと、頭を横に振り、こう答えました。
「自分の可能性を信じないと。そうすれば何だってできるんだ。」
このページは2006年2月に行われたインタビューをもとに作成されています。